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――グループB
1981年、FIA(国際自動車連盟)によって制定されたモータースポーツ車両規定であるグループBは、それまでの規定であったグループ4の後継のカテゴリーである。
年間200台を生産するだけで、グループBのホモロゲーション(認可)を得ることができ、モータースポーツへ参加する自動車メーカーにとっては、モータースポーツ車両の開発・生産の大幅なコスト負担軽減措置であった。
1982年、旋風を巻き起こしたのが、初めてラリーに4WDを持ち込み圧倒的な強さを見せつけたアウディ・クワトロだった。グラベルやアイスバーンなどスリッピーな路面での圧倒的な速さは目を見張るものがあった。
そして1983年、この常勝アウディ・クワトロに待ったをかけるべく登場したのが、ラリーの名門ランチアが送り出したランチア・ラリー037である。レーシングカーばりのパイプフレームを採用し、ミッドシップにスーパーチャージャーで過給したエンジンを搭載したリヤ駆動のマシンは、優れた操縦性能を誇り、しばらくラリー界は、この2台の一騎打ちの時代が続いた。
しかし、1985年、プジョー205ターボ16の登場によってその世界が変わった。ターボエンジンをミッドシップに搭載し、セミパイプフレームとケブラーボディで武装した4WDという怪物マシンで、初陣のラリーである“ツール・ド・コルス”でこのポテンシャルの高さを見せつけ、その後、アウディ・クワトロでさえ寄せつけない強さを誇った。
グループBは更なる進化を遂げ、従来の300馬力前後から500馬力前後までにパワーアップ。空力特性を上げるためのさまざまなエアロパーツで武装されるようになった。
そんな中で登場した究極のグループBカーがランチアS4である。500馬力以上ともいわれたツインチャージドエンジンをミッドシップに搭載した4WD車だった。しかし、このマシンの誕生が決定的な悲劇を産んでしまった。
1986年ツール・ド・コルスでランチアのエースドライバーだったヘンリ・トイボネンが崖下に転落。コ・ドライバーと共に死亡という事故が起きてしまった。この事もあり、1986年限りでグループBによるWRCは中止され、1987年以降は下位カテゴリーであるグループAにて選手権を行うことになった。
1トンそこそこの車重に、500馬力以上のパワーを持ったモンスターラリーマシーンが、甲高い金属音を残して目の前を疾走して行く様は、今でも多くのラリーファンを熱狂させるほどの魅力を放っていた。
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